【四季折々】野点(のだて)御膳の「野点」とは?【しげよし】

2018/02/06

 
私ども「しげよし」は、御献立に「野点(のだて)御膳」をご用意させていただいております。今回は、「野点」の由来と、野点御膳に込めた私たちの思いをご紹介させていただきます。
 
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■野点は千利休が豊臣秀吉のために始めたものといわれています
 
 屋外で、自然を背景にむしろを敷き、景色を観賞しながら催される茶会を「野点」(のだて)といいます。江戸時代の千利休に関する茶道伝書で、現代の茶道界で最も重要視される茶書である「南方録」には、「1587(天正15)年に、千利休が豊臣秀吉のために箱崎(現在の博多)の海浜の松原で松葉をかきよせ、これを燻(ふす)べて湯を沸し、茶を点てた」とする旨の記載があります。豊臣秀吉の九州出兵に同行した千利休が、海辺で松葉を集めて湯を沸かし、風の音や煙のなびく様子を楽しみながら茶をたてたというのです。まさに戦国の世の、わび・さびの世界ですね。これが野点の始まりといわれています。
 同じく1587年10月1日、秀吉は北野社(北野天満宮)の拝殿に千利休や今井宗久など日本全国の茶人を集め、お茶を点て、献茶をしました。同時に、北野の松原(境内)一帯で茶会を開き、一般の人々にもお茶をふるまったといわれています。今の言葉でいうなら、千利休プロデュースの「野点フェス」といったところでしょうか。
この茶会は後に「北野大茶湯」と呼ばれ、その様子を、江戸時代後期になって大和絵の画家である宇喜多一惠が描いたのが「北野大茶湯図」です。「北野大茶湯図」は縦58cm、横137cmの掛け軸で、北野の境内や松原一帯で催された茶会が描かれています。
 
【210】2017秋 野点(のだて)御膳
 
■今でも京都の「北野天満宮」では秀吉の故事にちなんだ行事があります
 
 天神様として知られる学問の神・菅原道真公をまつる京都の北野天満宮は、「北野大茶湯」の舞台となったことから、今も茶の湯とは格別に縁が深い神社です。
 秀吉の故事を今に伝えるのが、11月26日に行われる「御茶壷(おちゃつぼ)奉献祭」と、12月1日に行われる「献茶祭」(神仏にお茶を献上する儀式)です。
「御茶壺奉献祭」では、抹茶の粉末にする前のお茶の葉を木幡(こはた)、宇治など産地別につぼに詰めて神主が持ち、鳥居から本殿までの300mほどを「茶壷行列」した後に奉納されます。
その後、拝殿で口切り式(封を切る儀式)をしてあらためられた中身を抹茶にして、献茶祭で使うのです。献茶祭ではお祓いのあとで、厳格な作法にのっとりお茶を点てます。台子飾りと呼ばれる室町時代に遡るもっともフォーマルな茶道具のしつらえのもと、家元ないしはそれに準じる宗匠が特別謹厳な所作にのっとり、参拝者の面前でお点前を披露するのです。献上のための茶に息がかかって穢れないよう、白いマスクのような覆面で口を覆うのが特徴です。ここで点てられたお茶は、本殿の祭壇と、本殿奥にある豊臣秀吉を祭った豊国神社にも献茶されます。
神事の後には、北野天満宮に茶席が設けられ、一般の方でもお茶をたしなむことができます。「北野大茶湯」の再現というわけですね。献茶祭の日には社務所などに「北野大茶湯図」が掛けられます。
 
210夏の涼味三段
 
■北野天満宮の「梅花祭」などにも野点がございます
 
 また、菅原道真公の命日である2月25日に北野天満宮で催される「梅花祭(ばいかさい)」も素晴らしいお祭りです。約900年前から続く伝統の行事で、四斗の米を蒸して大小二つの木製の台に盛りつけた「大飯(おおばん)」「小飯(こばん)」や白梅、紅梅の小枝をさした「紙立(こうだて)」を神前に供える神事「梅花御供(ばいかのごく)」が行われた後、豊臣秀吉の北野大茶会にちなむ野点が催されます。梅を見ながらいただくお茶は格別でしょう。
 同じく京都の宇治市宇治塔ノ川にある宇治公園では、毎年10月に「宇治茶まつり」が行われます。豊臣秀吉が毎朝、茶を立てる水を宇治川からくみ上げさせたという故事にちなみ、宇治橋三の間で古式にのっとった「名水くみ上げ式」が行われた後、野点が催されます。宇治がお茶の香りに包まれる、幸せなひとときだといいます。
 
2017sp-210 野点御膳
 
野点は歴史があるとともに、日本人の心ともいえる「わび・さび」を体現するものです。「野点御膳」や「迎春野点御膳」といった仕出しのお献立を考えるとき、私どもはいつも「野点に込められた茶人の心」に思いをはせます。四季折々の美しさに彩られる日本の味わいを、仕出しで表現したい。かけがえのないひとときに「しげよし」をお使いくださったお客様の目とお口に心ゆくまでご満足いただけるよう、仕出しに心を尽くしたい。その思いを込めさせていただいております。