いよいよ、2017年もあと1週間。大晦日の後は、2018年(平成30年)のお正月を迎えます。今回は、一年を締めくくる大晦日についてまとめました。
■月の最終日を晦日といいます
日本は1872(明治5)年の「明治改暦」まで、天保暦の暦法による太陰太陽暦を使ってきました。いわゆる「旧暦」です。
旧暦では、毎月の最終日を晦日(みそか)と呼びました。旧暦では月の最後が30日であることが多かったので、三十を「みそ」とも読むことにかけて「みそか」というようになったといわれています。
12月31日は、一年のうちで最後の晦日だから「大晦日」と呼ばれるようになりました。
また、晦日のことを「つごもり」とも読みます。大晦日は「おおつごもり」です。これは、「月隠り」が転じたもので、一か月の最後は月の光が見えなくなる(隠れる)ことが多かったから、ひと月の最後をつごもり、年の最後をおおつごもりと呼ぶようになったといわれています。
明治の女性文豪、樋口一葉の短編「大つごもり」では、山村家に奉公に出る主人公・お峰のあわただしい大晦日の様子が描かれています。
■大晦日は年神様をお迎えする準備の日とされてきました
年の暮れは、家の大掃除をしたり、門松や鏡餅を飾ったりしてお正月の準備をするご家庭も多いと思います。これは、お正月にいらっしゃる「年神様」(歳徳様)をお迎えするための習慣です。古来より、日本では新年に年神様をお迎えし、ごちそうをふるまうために、大晦日は家に「年籠り」(としごもり)をして準備をしてきました。
昨今は、こちらから神様のもとへ伺う「初詣」のほうが盛んですね。
また、大晦日には年越しそばを食べますね。これは、蕎麦は他の麺類よりも切れやすいこと、細く長いことから「今年一年の災厄を断ち切り」「細く長生きできますようにという祈りを込めて」食べるものだといわれています。
■大晦日の風習は地方によってさまざまです
大晦日の過ごし方は、地方によってさまざまです。例えば、福岡県福岡市博多区では、大晦日になると「オキャガリ売り」が訪れていたといいます。オキャガリとは「起き上がりこぼし」のことで、店先で起き上がりこぼしを転がして、東を向いたものを買って神棚に供えていたとか。年中の災厄を払ってくれると信じられていたそうで、1847(弘化四年)の年中行事を記した書物にも、大晦日「起き上がりこぼし神棚へ上げる」との記録があるそうです。
また、「年取り」という、ごちそうを食べる風習が残っている地域もあります。三島郡浦村(現在の越路町)の大平與兵衛が、江戸時代の天保年間に記した「農家年中行事記」には、以下のような記録があります。
「――大晦日(みそか)。一年のすべての収支の帳じりを合わせ、しめくくる。そして、身分に応じて庄屋、組頭、五人組の組親、あるいは親類、地主、知り合いへ「歳暮」と称して番茶、切りこんぶ、そば粉、そのほか季節の穀物や野菜を贈る。家によっては『年泊り』」と称して、この日から翌年2月1日まで下男を当人の実家へ帰す(1カ年分の給米として下男には5俵以下、下女には2俵以下を与える)。各戸とも分相応に門松、しめ飾り、切下げ苫(とま)をかざる。夕飯には塩引魚および野菜の料理を出し、祝い酒を盃に3杯いただく。これを「年取り」という。そのさい、どこの家でも戸の錠をかけ、来客を拒むしるしとする。食べ終わると、一家の主人は庄屋はじめ村役人、知り合い、親類、あるいは地主の家に行き、歳暮の祝いを述べる。どこの家も手造りの濁酒でこれをもてなす。この日の夜は、一家の主人は必ず、いろりの自在かぎを来年の歳徳神のおいでになる方向に向けてから寝床に入り、新年を迎える」 (農山漁村文化協会刊「日本農書全集」より)
大みそかはお茶の間にお膳(年取りの膳)を並べて、家族全員で「年取り」を祝ったことが書かれています。「歳徳神」、すなわち年神様のことも書いてあり、江戸時代の風習がよくわかりますね。
新潟県はこの風習が色濃く残っていて、今も大晦日はお寿司やすき焼きなど、ごちそうを食べるそうです。新潟県内のお寿司屋さんは、大晦日が一番のかきいれどきだとか。
■おせち料理を食べるのは大晦日?それともお正月?
お客様からよく、「おせち料理はいつ食べるものでしょうか?」というお問い合わせを頂戴いたします。
結論から申し上げますと、地域によって異なります。
「年取り」の風習が色濃く残る新潟県や北海道などの地域では、お寿司などのごちそうと、おせち料理を一緒に召し上がることもあるそうです。京都などはお正月に召し上がるのが一般的とのことです。
私どものおせち料理は、12月30日にお届けいたします。すぐ解凍して大晦日でも、冷蔵庫に入れていただいてお正月でもおいしくお召し上がりいただけます。
私どものおせち料理を、皆様にお選びいただいたならこの上ない幸せでございます。新年も、私どもしげよしは日本料理の真髄とおもてなしのこころを追い求めてまいります。
どうぞよろしくお願いいたします。