2017/12/30
【四季折々】お正月【しげよし】2017/12/30 日頃はちょっと高いところから私たちを見ていて、お正月とお盆に戻ってくるご先祖様を迎えて一緒に過ごすのがお正月でした。よく「盆と正月が一緒に来たよう」などと言いますが、お盆とお正月は古来よりワンセットだったのですね。 おせち料理を食べる「祝い箸」の両端が細くなっているのは、片方を正月様や年神様、歳徳神(ご先祖様)、もう片方を人が使う「神人共食」(しんじんきょうしょく)を意味しています。また、中央が太くなっている丸箸なのは、家庭円満で一年中食物に不自由しませんように、という願いが込められています。祝い箸には柳の木を使うことが多いので、柳箸とも呼ばれます。 ハレの語源は「晴れ」で、今も「晴れの舞台」(人前で何かをする、重要で晴れがましい場所・場面。)、「晴れ着」(礼装、正装)などの言い回しで使われています。私たち日本人は、お正月という「ハレの日」に向かって門松や注連飾り、年神棚やおせち料理を準備し、お餅をつきました。そして、新年を迎えると晴れ着を着て、年神様を迎え、祝い箸でおせち料理を年神様と食べました。その「ハレの日」の伝統の多くが、今も残っているのです。 橙はミカン科の常緑低木で、寒さや暑さに強く、長雨にも耐えます。病気や害虫にも強く、毎年実がなります。また、橙は熟しても落ちにくく、同じ樹に何度も実を結ぶので、「代々」とも呼ばれます。このことから、繁栄の象徴として昔から縁起物とされ、正月の飾りなどに利用されてきました。 この注連縄を、一年中飾る地方もあります。例えば、島根県出雲地方では、漁師町を中心に、家内安全を願って神棚に一年中「永代じめ」という縄飾りが飾られます。また、宮崎県高千穂町や、三重県伊勢志摩地方、熊本県天草地方などにも、注連縄を一年中飾る風習があります。その由来については、スサノオノミコトの伝説により厄除けや魔除けを願っているものとする説など、諸説あります。 調べた範囲では、「初詣」という文字が最初に使われたと思われるのは、1893(明治26)年の朝日新聞でした。「川崎大師の初詣」と見出しがついたその記事には、「昨年ハ恵方に当たりし事とて本年ハ幾分か減少の趣きもあれど相変わらず参詣客沢山にて」と記されていました。 この記事にある「恵方」とは、その年の十干(じっかん)によって定められる、最もよいとされる方角のことで、その方向に正月様や年神様、歳徳神様がいるとされます。「恵方巻」という風習を耳にするようになりましたのはごく最近ですが、「恵方」は陰陽道に由来する風習で、古くからありました。 この記事の背景には、江戸時代から明治にかけて、自宅から恵方にあたる寺社に参拝する「恵方詣」が盛んだったことがあります。「明治26年の川崎大師は、東京から見て恵方でもないのに元旦から参拝客で混雑している」ということを不思議に思われた記者さんが、この記事を書かれたのでしょう。 江戸時代にはお正月ではなく、その年の最初の縁日が「初天神」「初不動」などとされて参拝の対象になっていたこなどからも、民俗学では「初詣」は江戸時代以前には存在しなかったと考えるのが通説となっているようです。 皆様がよき新年を迎えられることを心からお祈り申し上げます。皆様がご家族や年神様と過ごされる食卓に、私どもの料理がございましたら、身が震えるほどの幸せにございます。 |