【しげよしの、人】 修行のすべてが今につながっています(総料理長:斎藤巧)【しげよし】

2017/06/06

 お客様のご期待以上のお料理とサービスを「仕出し」に込める。
この志を同じくする人間が集まっているのが私ども「しげよし」です。
今回は、その「しげよし」スピリットを料理に吹き込む総料理長、斎藤巧をご紹介いたします。

 

料理長画像
 
斎藤 巧
岐阜県出身。実家が経営していた民宿を幼少期から手伝い、「お客様のおもてなし」に興味をもつ。18歳のときに料理の道へ。鳥羽の高級リゾートホテルで配属された和食の厨房では、会席料理の基礎や宴会料理の取り回しなど割烹のすべてを叩き込まれる。その後、大阪の日本料理店などを経て「しげよし」へ。大胆な発想と熟練した腕を見込まれ、レシピの開発やメニューの決定など料理のすべてを取り仕切る総料理長に任命される。

 
■お客様の笑顔が料理の原体験です 
私は岐阜県の生まれで、実家では祖父母が民宿を営んでおりました。観光シーズンの慌ただしい中、祖父母がつくる料理を運んだり、掃除をしたり。今思えば、「料理」の原体験は、祖父母がつくる夕食や朝食を食べて「おいしい!」と頷かれるお客様の笑顔ですね。

 
■リゾートホテルで「集団でつくる料理」を学びました 
高校生のときにアルバイトをしていたのは蕎麦やさん。そこの板前が、粋な人でね。仕事が早くて、本当に美味しい料理をつくる。その手際のよさと格好良さに憧れて、高校を卒業してすぐこの世界に飛び込みました。最初に就職したのは、鳥羽のリゾートホテルです。和食の厨房に配属されましたが、厳しい世界でしたね。先輩が仕事をしやすいように野菜の下処理をしたり、準備をしたりする。常に先輩の動きを予想し、自分なりの動線を築いて仕事をこなす術を学びました。
当時は、先輩の技を目で盗む時代。何も知らずに入ったので、とにかく総料理長や、先輩の仕事をよく見るようにしていました。また、ホテルですから宴会も多く、いかに美味しく、美しく、早く、和の作法にのっとって仕上げるかを叩き込まれましたね。
店によって違いますが、和食の修行はあれやれ、これやれと言われて動く「追い回し」、主に前菜を作る「八寸場(はっすんば)」、揚げ物をつくる「揚場(あげば)」、刺身を引く「向板(むこういた)」、焼き物を作る「焼場(やきば)」、煮方を補佐する「脇鍋(わきなべ)」、煮物をつくる「煮方(にかた)」、板前、副料理長、総料理長の順に序列が上がっていきます。実力主義の世界ですから、総料理長に認められてトントン拍子に位が上がっていくのはやりがいがありましたね。また、板前が大勢いたホテルだったので、チームで会席料理を組み立てていく楽しさがありました。人に効率的に指示をする姿勢もここで学びました。
 
会席膳画像
 
■日本料理店では「ひとりでの組み立て」を学びました 
その後、大阪の日本料理店に転職しました。ここでは厨房をほぼひとりで任されておりましたので、ひとりでいかにスピーディに料理をつくっていくかをとことん追求しました。美味しいのはもちろん、早く、美しくつくりあげることが重要です。この、ひとりで効率的に美味しく美しい料理をつくるという視点は、現在、仕出しのメニューを考えるにあたってとても役だっていますね。
チームでの仕事と個の仕事。思えば、すべての経験が「今」に繋がっているのは、料理人としてとても幸せなことです。
 
■仕出しに自分なりに込めた「工夫」でお客様が笑顔になってくださるのが幸せです 
リゾートホテル時代の上司が「しげよし」で働いていたご縁で、「しげよし」に参りました。料亭の美味しさをあらゆる場所でご提供し、ご家族やご友人との集いの時間を仕出しで彩り、演出させていただくというコンセプトに惹かれました。
今は、季節ごとのメニューを考えたり、同僚などに技術を教えたり、レシピを考えたり、効率的につくるためにレシピをブラッシュアップしたりと、料理にまつわるありとあらゆる仕事をしております。
仕出しを通して、和食文化や、和の空間を体験していただきたいというのが「しげよし」の願いです。例えば「ご自分で松阪牛を炙っていただいて、香りと松阪牛のとろけ出る脂などを感じていただくのはどうだろう」など、私なりの工夫を考えているときにとてもわくわくしますね。仕事に150%集中していますので、自宅では一切料理をしません(笑)。
お客様から「美味しかった」「家族と一緒に楽しめてよかった」などのお声をいただくと、その工夫が少しでもお役に立てたのかなと本当にうれしくなりますし、お客様の笑顔が目に浮かびます。この仕事をしていて本当によかったと思うひとときですね。